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先週末に、クリニックの忘年会をしました。
開院当時は、診療の最終日に、待合室の照明を落として、ちょっとしたカフェのような雰囲気にして、そこで自分たちで準備した鍋パーティーをやっていました。
出かける手間もなく、診療最後の日に行うので、「良いお年を。。」とみんなを見送るときには、すっかり、「あ~年の瀬だな~」と実感して、良い感じでした。
でも、それにはひとつ難点があり。。。。
鍋のにおいが、こもってしまうのです。
お正月休み中、窓を開放して、空気を入れ換える作業をしなければなりません。
それに、帰りのことを考えると、スタッフもみんなお酒が飲めない。。。わけです。
なので、最近では、一泊をしながら、ゆっくりとくつろいで忘年会を行うことにしています。
今年は、天栄村にあるレジーナの森のロッジを借りて、1泊しました。
そこは、犬も同伴できるので、スタッフ犬であるサニーとハーティーも一緒に行ってきました。
春には、芝桜が咲き乱れ、人もたくさんいて良いところでしたが、冬はさすがに閑散としていて。。。
さらに、風が強くて外は、かなり寒い!
でも、別荘のようなあたたかなロッジで、みんなとワイワイ夜中まで、大笑いしながらリフレッシュすることができ、翌日はゆったりと温泉三昧で帰ってきました。
今年は、秋にスタッフ旅行で、金沢に行ってきましたが、近い場所でも、遠い場所でも、非日常的な場所にみんなででかけて、親睦を深めることは、大切ですよね。
我が家の場合、日頃のスタッフへの感謝をこめて、開院以来、スタッフ行事は、企画、手配等の一切を私がやるのが慣例になっています。
何かと大変なこともあるのですが、もともとお祭り好きの性格。。。
立案、計画している間が、楽しみでもあり、みんなの喜んでいる顔をみるのがさらなる幸せ。。。
さて、来年はどこに行こうかな。。。と、密かに今から思いをめぐらせている私です。
今日は私の座右の銘のような詩を紹介します。
茨城のり子さんの 「自分の感受性くらい」 という詩です。
この詩にはじめて出会ったのが、いつの頃だったのかは、もう定かではありません。
確か大学時代か、研修医になりたての頃。。。。
とかく、人格が未熟な時代には、いろいろな迷いやうまくいかないことの数々に押しつぶされそうになります。
そんな自分を隠し、守るかのように、何かのせいにしたり、誰かのせいにしたり。。。
私がこの詩に出会ったのも、ちょうどそんな時だったと思います。
以来、私は何か心に迷いやとまどい、いらだちを覚えるたびに、この詩を思い出すようになりました。
すると、不思議に、心が穏やかになって、また歩き出すことが出来るようになります。
最後の 「ばかものよ」 という言葉に励まされ、一喝されて、背中を押されるような気がしてくるのです。
最近、スタッフとの休憩時間に、何気なく話題になったので、皆さんにもご紹介したいと思います。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが。。。。
自分の感受性くらい / 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
何か、壁にぶつかったとき、迷ったとき、逃げ出したくなるくらい辛いとき、素直に自分と向き合う気持ちにさせてくれる、とても大切な。。。
私にとっては、母からの言葉のような詩です。