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多くの人々は、
大きな幸せをじっと
待っているうちに、
小さな喜びを
見失ってしまう。
パール・S・バック
あっという間に、今年ももう3分の2が過ぎようとしています。
今年は震災のこともあって、いつになく時が短く感じられます。
今月の言葉もなかなかupできないまま。。。こんな時期になってしまいました。
申し訳ありません。
さて。。。。
しあわせの基準は本当に人それぞれです。
ある人には大きなしあわせと感じることでも、ある人にはまったくそうではないこと。。。
そんなことは、日常的にたくさんある話です。
でも、いつもしあわせそうに生きている方をみていると、そういう方はどんな小さなことでもとてもうれしそうに受け止めて生活されています。
普通の人が何気なく見過ごしてしまうようなことでも、喜んだり、楽しんだり、ありがたがったり。。。
そういう方に接していると、大きなしあわせは、そのものでどっかりとあるものではなく、小さな小さなしあわせや喜びの集合体なのかもしれないと思います。
みなさんも、身の回りにある小さな小さな喜びを細やかに拾い集めてみませんか?
きっと。。しあわせな気分が雪だるまのように大きく育っていきますよ。。。。
幸せの中には辛いという字が含まれていますね。
父と母の昔話 と言うエッセイ集の中にこんな言葉あります。
「辛さ」を乗り越えて知る「幸い」
幸せという心情は、「幸」に浸りきっている状態ではなかなか意識出来ず、むしろ挫折を経験してその「辛さ」を克服したときに強く意識する心情だろう
とか
感と惑
「感」の中には惑に似た部分があります
感じるということは幾分か
惑い似た心情かも知れません
惑うほど豊かな感受性に
恵まれたいものです
とか
表裏
「裏」の中に「表」があります
裏を見れば表もわかるのが世の常
「表」だけは目を凝らしてみても、その中に
「裏」を読み取ることが出来ません
見た目(表)の派手さに「惑」されず、辛い毎日の中にも時折ある、一瞬一瞬の小さくても確かな幸、感じ取りたいですね。