抱きなさい 子を /浜 文子
抱きしめなさい
子を
育児書を閉じ
子育てセミナーを欠席し
抱きしめなさい
子を
誰にも遠慮せず
あなたの子を
しっかりと
抱きしめなさい
抱きしめなさい
子を
母の膝が
子どもの愁いの
すべてを除く
その時代に
いつか母の膝は
子の悲しみに近づけない
日がやって来る
やがて母の手が
子の涙を拭いてやれない
日が訪れる
きっと来る その日
子が涙を拭う手に
柔らかな記憶の手が重なるように
痛む子の心が
温かな思い出の膝に包まれるように
母よ
抱きしめなさい
子を
もう何もしてやれない日のために
抱きしめる手が
子の未来に届くよう
幾度も 幾度も
抱きしめなさい
母たちよ
やがて別れる者として
あなたの子を
しっかり胸に
抱きなさい
Heartyの母として成長していく姿をみて、この詞を読むと、何かずっしりと響くものがあります。
暇さえあれば、ただただ身体をなめてやり、ク~ンと啼けば、眠るのを惜しんで授乳をし、手の届かないところに子が行けばおろおろと心配そうな悲しい声をだし。。。
人間と違って、本能だけに突き動かされて、だれも教えることがないのに、母性を獲得していく姿は、ただただ感動するばかりです。
本能にいろいろな私欲、感情、理性などがくっつき、複雑になっている人間は、こんなにも純粋に子育てができていないかもしれません。
自分の子育てを振り返り、考えてしまうことが多くなりました。
この詞のように。。。
Heartyのように、私は子供をだきしめてこれたでしょうか。。。
自信がなくなる今日この頃です。
[1回]
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朝という字は、十月十日と書きます。人は十月十日母に育まれ生まれて来ます。そして十月十日育んだ母は生まれ来た子供を心から抱きしめます。眠りが人の仮の死だとすれば朝はまた新たな生。朝が来るたびに仮の死からめざめ新たに生まれてきてくれた我が子を心をこめて抱きしめる、そんなこと朝な朝な続けて行けば子はいつしか、たとえこの世から母はすでに去ってしまった後も、朝が来るたびに十月十日の母の恩を忘れず、自分もまた自分の子に同じようにできるようになるのではないか、今日の詩を読ませていただいて、ふとそんな風に思いました。この詩のおかげで良い昼休みになりそうです。ありがとうございました。