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先日、友人から、大寒の時の異例の暖かさで、「うっかり咲いちゃった」という桜の花の写真が送られてきました。
「うっかり咲いちゃった」という表現に、ふっと笑ったりして、心が和まされました。
昨日、スタッフから、「ハイビスカスが咲きました!」と言われ、まさか。。。と半信半疑で、相談室をのぞいたら。。。
咲いていました。。「うっかり。。。」なのでしょうか、大きな白いハイビスカスが。。。。
相談室は、クリニック内でも、通常あまり人気がないので、寒いのですが、外よりは暖かいのでしょうか。。。
こんな時にハイビスカスなんて。。。。
でも、「うっかり咲いてしまった」花でも、ひっそりと誰にも見られずに散ってしまうのは、さぞ残念なのことだろうと思い、早速待合室の陽が当たる場所に移動しました。
今、待合室には季節はずれのハイビスカスが、皆さんに声をかけてもらえるのを待ちながら、ちょっと恥ずかしげに咲いています。
ところで。。。
今、次々に花が咲いて、結構きれいです。
時々、野鳥がやってきたりするとなんか、「春だな~~」と思います。
梅が咲き始めると、庭に植えてある花も次々に自分の順番を待って、咲き始め、そのたびごとに春の足音が近くなります。
冬の間、ほとんど眺めることがなくなった庭に、目をやる時間が増えそうです。
皆さんが、庭に注目されることも増えるでしょうから、そろそろ春の準備に取りかからねば。。。です。
今日は、母の命日。
毎年、命日が近くなると、兄からの手紙の回数が増えるような気がする。
母の想い出を誰かと語りたくなるのか、それとも、うっかりものの妹に、「よもや、忘れては、いるまいな。。」との兄なりのサインなのか。。。
今年もしっかりと母の想い出とともに、兄からの長い手紙が届いた。
最近、なんだか涙もろくなった。人は、それを年のせいだという。
確かに、年のせいだ。。。。
幼い頃、兄と喧嘩して、いつまでも泣きやまない私に、母は、
「そんなに涙を流すと、お母さんが死んだときに流す涙がなくなるよ。ちゃんととっておいてね。」
そう言いきかせたとか。。。
記憶も残らないような年齢の小さな子供に、母親が死ぬときのことを語ってしまう母も、すごい人だなとつくづく思うが、その日から、私は、母がびっくりするほど、長泣きをすることがなくなったのだという。
でも。。。
そういう母は、人一倍涙もろかった。
辛いときや悲しみの涙をみたことはなかったが。。。
授業参観で、うまく発表できたと言っては泣き。。。
運動会で、走ったと言っては泣き。。。
学芸会で、ハーモニカを吹いたと言っては、泣き。。。
卒業式で、大きくなったと言っては、泣き。。。
ほかのお母さんは、笑っているのに、なんで私のお母さんはいつも泣いているのだろう。。と思ったものだ。
そんな母が、突然逝ってしまってから、19年。
母の命のかわりに、新しい命を受け取って、今度は自分が「母」になった。
まるで、リレーのバトンを受け取るように。。。
なんだか、この19年、がむしゃらに前を向いて歩いてきたけど。。。
気づいてみたら、あのときの子供が、私が母のもとを巣立った年と同じ19歳になっている。
自分の巣立ちの時は、新しい夢をかなえることに一生懸命で、一人残される母のことなど、思いやる優しさはなかったかもしれない。
それでも母は、「信じた道を迷わず歩け」と、笑顔で背中を押してくれた。
今、その想い出と同じ情景を今度は母という立場で、見守ろうとしている。
そういえば。。。あのとき、母は泣いていなかったな。。。
自分も旅立つとき、もうこれで母とともに歩む人生ではなくなるのだという現実を実感してはいなかったけど。。。
でも、母はきっと寂しかったに違いない。。
心細かったに違いない。。。
私のために、涙はきっと我慢していたんだと思う。
結果的に、あの日を最後に、私は母とゆっくりとした親子の時間を再びもつこともかなわないまま、19年前の今日、その現実と嫌でも向き合うことになったのだ。
今、親として子供の巣立ちを迎える年になってはじめて、あのときの母の気持ちを想う。
最近、涙もろくなった。。。
幼い日、母の涙をみて感じたあの疑問が今ゆっくりと解け始める。。。
もう節約しなくてもよくなった涙を今日は、母を偲びながら、静かに流そうと思う。
あんなにも涙もろかった母が、あの日、笑顔で背中を押してくれたことに感謝し、一度もまともに伝えられなかったあの言葉とともに。。。
「おかあさん、ありがとう。。。」
いくつになっても、いつまでも、
私は、おかあさんのこども、
そして、いつも、どんなときも
あなたは、私のおかあさん。
「ありがとう、おかあさん。」 竹本聖 著
先日、新年を迎えたばかりですが、もう1月も終わりです。
すっかりお正月気分も抜けたので、クリニックの雰囲気もひな祭りに向けて、模様替えをしました。
実は、クリニックを始めたときから、飾りたかったのですが。。。
以前に所有者である娘にお願いしたときには、許可が得られず、諦めていたのです。今年、娘の許可を得たので、お披露目することになりました。
訪れる皆さんの心が、この柔らかなお顔のお雛様に、少しでも和んでいただけるとうれしく思います。
娘が生まれる直前に、私の母が亡くなり、みんなの悲しみの中で、一筋の希望のように彼女は生まれてきました。それは、まるで、「いつまでも、泣いていてはいけない。前を向いて歩きなさい」という母からの最後の贈り物のように。。。
失われた命への悲しみをかき消すかのように、その新たな命は、私たちに笑顔を届けてくれました。
そんな健気なちいさな命に私の兄も、ことのほか思いが強く移ったのでしょう。
女の子の初節句には、母親の実家からひな人形を贈るのが習わしだからと、りっぱなひな人形を贈ってくれました。
それが、この内裏雛です。
その彼女も来年は成人式を迎えます。
生まれてきた時の「使命」を本能として感じていたのか、人を笑顔にする仕事をしたいと幼いときから言い続けてきました。この春、やっとみつけた自分の夢に向かって、彼女はこの家から旅立っていきます。
だから、今年だけは、どうしても彼女のこれからを祈って、是非、このお雛様を飾りたいと思っていました。(実は、忙しさにまぎれて、毎年こまめに飾ってやることがなかったのです。)
クリニックに飾る許可が出なければ、自宅のどこかにでも。。。と
でも、「みんなに観ていただく方が、お雛様もうれしいんじゃない?」と、快く許してもらえたので、この度、晴れてお披露目することができました。
今年からは毎年、この時期に、この優しい内裏雛を飾りたいと思っています。
少しの間でも、皆さんの心がふんわりと柔らかになりますように。。。。
そして、娘の夢がひとつひとつ実現していきますように。。。(私も、ただの親ばかなのです。(笑)